ここで記事を書くのって何年ぶりだろう
今、自分の書いた記事を読み返してみたけれど
なんだか歳月を感じるね
記事の中の子供は小さいまんまだけど
現実はすっかり大きくなって今は家族でご飯を食べるという
当たり前の光景でさえ珍しいことになってしまった
幸いにも一番可愛かった時期を私は記録に残してある
子供が独り立ちしていくのってとても寂しい
早く何でもできる様になれば楽になれるにと思っていたときが
一番幸せな時だったと思う
でもそれが幸せだったという事に気がつくのは
あのときに望んでいた子供が何でもできるようになったとき
なんて皮肉なんだろうと思う
抱っこをせがむ子供を仕方なく抱えた
今はもう抱っこしたくてもできない
抱っこしたいな~と思う
玄関に並んだ靴を見ると、もう一度靴を履かせてあげたいなと思う
もう一度自転車に乗せて買い物行きたいなと思う
あのときより年は取ったけれども
転んだときは、もっと早く走って行って
服についた砂を払って「大丈夫!」といって
抱き起こして上げられるのに
時はたつ。
今一緒にいるのは、ずっとは一緒にいて上げられないから
そう思うと今が愛おしいと思う
今、自分の書いた記事を読み返してみたけれど
なんだか歳月を感じるね
記事の中の子供は小さいまんまだけど
現実はすっかり大きくなって今は家族でご飯を食べるという
当たり前の光景でさえ珍しいことになってしまった
幸いにも一番可愛かった時期を私は記録に残してある
子供が独り立ちしていくのってとても寂しい
早く何でもできる様になれば楽になれるにと思っていたときが
一番幸せな時だったと思う
でもそれが幸せだったという事に気がつくのは
あのときに望んでいた子供が何でもできるようになったとき
なんて皮肉なんだろうと思う
抱っこをせがむ子供を仕方なく抱えた
今はもう抱っこしたくてもできない
抱っこしたいな~と思う
玄関に並んだ靴を見ると、もう一度靴を履かせてあげたいなと思う
もう一度自転車に乗せて買い物行きたいなと思う
あのときより年は取ったけれども
転んだときは、もっと早く走って行って
服についた砂を払って「大丈夫!」といって
抱き起こして上げられるのに
時はたつ。
今一緒にいるのは、ずっとは一緒にいて上げられないから
そう思うと今が愛おしいと思う